人権擁護法案について(その2):あるすがた
さて、前回の内容を受けつつ、それでは具体的に人権擁護法案の、なにが、どうおかしいのかを個別具体的に述べるとともに誤解を受けるんじゃないかなと思うことについて言い訳を述べ、もってこれにかえることとする(何を何にかえるって?)。
今回は、そんなお話。
ということで言い訳から入らせてもらいますけど、前回、個別の政党の名前を挙げて、かなり批判的なことを書いておりますが、その支持団体である、某宗教団体の信者の方を直接非難する気は毛頭ございませんよ、私は。
個人的にやる分には、南無妙法蓮華経だろうが、南無阿弥陀仏だろうが、畏くも高天原にだろうが、こちとら知ったこっちゃございません。
ただし、HP版でも申し上げたとおり、いやしくも民主主義国の、また国民国家の政治家としてあるまじき発言をなさいますような方を、無知ゆえに、また己の無謬性を主張するあまりに、当選させてしまうような、とんでもない暴挙をなさいませんように、とは思いますが。
ま、そんなことはともかく、具体的に何が問題なのか、ちょこっと考えてみましょうかね。
とはいえ、前回も書いたけれど本当に問題になるのは一点。
「誰がそれを差別と決めるのか」
ということなんだよね。
で、法案のままだと全然そのあたりが明確でない、「人権委員会」が決めることになっていて、しかも、特定の団体を必ずその中に含めるとか書いてある。
さらに、その人権委員会の下には2万人からなる「人権擁護委員」なる人々がいることになっていて、その人たちには
1 令状なしでの強制捜査権
2 公表、告訴を含む法的手続きを行う権利
が与えられ、後日それが人権侵害にあたらないとされても、
謝罪、原状回復の義務がなく、原則的には言われた人が名誉毀損で訴えるしか損害回復の手段がない。
ということなんで、睨まれたら最後、痴漢の冤罪なんてメじゃないねってな法案なんだよねぇ。
ところで、特定の団体、っていうところに重点をおいて、在日利権、差別利権に使われてしまうことを心配している人たちもいるようだけど、私としてはより根本的に、
そもそも表現の自由は民主主義を成立させる重要な要件の一つであり、その自由のない社会は、そのほか全ての自由が実質上存在しない。
ってことの方が問題だと思うんだけど。
もちろん、だからって、在日の人たちや、被差別部落の人たちが差別を受けてないっていうてるわけじゃぁないし、その中で、そういった人たちの団体が果たしてきた役割というものが大きかったということも承知してるわけだけれど。
先日、田舎に帰った折に、日本海側で、
「この集落は平家の落武者たちが集まってできた 地であり、周りから隔絶された環境で云々」
ていう看板を見かけたんだけど、この空白の部分は、本当に空白にしてあったんだよね。
多分、"部落"か、それに類する言葉が入っていたんだと思うけど、その言葉を消すことが、逆にもっとひどい差別になってしまってるってことを、この看板を立てた役所の人は考えなかったんだろうかね。
差別を無くそう、ったって、昔(無知によるものであれ、なんであれ)差別があったことを記録から消したからって、無くなるわけじゃない。
てことを、もう少し考えたほうが、いいと思うんだけど。
こういうふざけた法案に諸手を上げて賛成している国会議員の中に、一番最初に挙げた"国民国家の政治家にあるまじき"発言をなさった議員さんが含まれていることが、何よりも腹立たしいんだけどね。
おっと、あまり言うと「差別発言」として取り締まられちゃうね。 それでは、今回のお話はここまで。
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