人権擁護法案について(その1):民主主義についておさらい
なんていうか、もう、あきれて物が言えない、といいつつものを言うわけですが。
一度ダメになったはずの人権擁護法案(別名:D作擁護法案)が、またしても復活してしまったようですね。
この法案のどこがダメであるのか、とともに、民主主義にとってこの法案がどれほど悪影響を及ぼすものであるかを述べてみたいと思います。 今回は、そんなお話。
思いっきりはしょって言うと、この法案の問題点とは「誰がそれを差別と決めるのか」っていう点に集約され、それが法務省の外局扱いの「人権委員会」なる怪しげな組織である、からということなんだけど。
まぁしかし、私はそもそもから語り起こすのが好きなので、"そもそも民主主義とはなんじゃいな"ってなところから、やっていきましょうか。
あのね、私はHP版でも散々繰り返しているんだけれど、民主主義というのは、大雑把に言って「みんなで決めたことだからみんなで守りましょう」という取り決めのことなんです。
しかもこれは、単純な「多数決で決めれば良いじゃん」っていうことではなく、原則としては全員一致で物事が決まっていくという仕組みなんです。
ちょっと分かりにくいと思いますので、改めて、少し補足しながら述べてみますと、この民主主義という仕組みはですね、基本的にはギリシア時代のアテネの仕組みを模範としながら、成立しているんですね。
え、ギリシアのことなんか知らない、そんな遠い国のことなんぞ関係ない?
しかしそうは言っても、日本の民法典は、ギリシア-ローマ法-ラテン法-フランス民法の流れを汲んだ明治民法が今でも基本になっているんだし、案外関係はあるんですがね。
で、このアテネという都市国家(ポリス)では、民衆(デモス)による支配(クラティア)が行われていたわけですな(ここから"デモクラシー"っちう言葉が生まれるわけです。)
このデモクラシー(=民主主義)は、一定の条件のもと、全員の意見が一致するまで、議論を戦わせて、政治的、経済的問題を決定していたわけです。
さて、その一定の条件、についてはおいておきまして、しかしながら、近代の民主主義の成立というところまでは、もうワンクッション、啓蒙思想家の皆さんが挟まらないといけないわけです。
啓蒙思想家っつぅとなんだか小難しそうな印象ですが、今回の話に関係する社会契約論の部分だけを要約しますと、要するに
「人間というのは自然状態で放っておくと、所有をめぐって争いになる。 だから社会というものを想定して、そこからの命令として法律というものをつくり、争いごとを回避しよう」
て、これだけ。
ほんでその中でルソーさんっちゅう人はさらにもう一ひねりしまして
「人間は"本当は"自然状態では争わない、だけど部族とかで集まって暮らすようになると、領土や所有の問題が発生して争うようになる。 だからその社会の全員が納得するような"一般意思"っちゅうものを仮定して、それが法律を規定しているということにしよう」
といったわけですね。
それで今でも法律の入門書なんかをひもときますと、「法律とは一般意思の顕現である」ってなことがかかれていたりするわけです。(厳密にやると、法実証説と自然法説とか、これだけで本が書けるぐらいのややこしい話なんですが、それは本筋でないので、おいておきます)
で、この中の"本当は"自然状態では人は争わない、ってところからルソーさんは自然児を扱った『エミール』なんて小説を書きまして、これが今でも続いてる"ゆとり教育論争"につながってたりするんですが、それも本筋ではないのでおいておきましょう。
で、ですね、ほとんどの皆さんが誤解するのが、この一般意思ってやつが純粋な抽象概念だっていうことなんですね。 だってこの広い社会の、全員が完全に納得するって、そんなことが本当に可能だとでも思ってるんですか? だからルソーさんが言ったのは「そういうことにしておいて、法律の正当性を担保しよう」ってだけで、それ以上でもそれ以下でもないんですよ。
そこで、まぁとりあえず全員が参加することは難しいだろうから、人々の意見を代表する(はずの)議員というものをえらんで、それでも完全に利害が一致するってことはないだろうから、一番多数の意見を反映する(はずの)多数決っていう手段をとりましょうかねってことで、現在の議会制民主主義っていうのは成立してるわけです。
だけれども、条件さえ限定すれば、一般意思ってのは完全に幻ってわけでもないんじゃないの?って言うたのが、ハンナ・アーレントさんというひとで、それが前のほうで述べましたアテネの直接民主制なんですね。
ただし、アテネの直接民主制は、女性には参政権がなく、一定の収入以上の成人男子に限り、奴隷制を前提として、純粋に政治的、経済的問題を利害に関係なく議論でき、また、都市国家という限られた地域だったということがあります。
つまりこれが、"一般意思の成立する一定の条件"ていうことですね。
だからって、アーレントさんは、女性の参政権を奪い、奴隷制を復活させ、収入によって選挙人を選べっつってるわけじゃぁなくて、そういう無理がある制度なんだから、そのことを自覚しておかないと(そしてまた多数決があくまでも手段であることを忘れると)"法律に決まっちゃったんだからしょうがないよね"っちゅうお馬鹿さんな諦めを持った一般人と、"私らの言うことが一般意思なんじゃぁ、聞けい、愚民ども、法律なんて作ったもん勝ちぃ"っちゅうお馬鹿さんな議員さんとが跳梁跋扈する、アホンダラ全体主義が成立してしまうってことを言うてるんですね。
で、このことを踏まえて、人権擁護法案を眺めると、途端に不安になってくるんですね、だって、
"わが公明党の実現力は世界一ぃぃ"(あ、言っちゃった)っつってる政党が、中心になって推進してるんですから。
というところで、今回のお話は、ここまで。
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