人権擁護法案について(おわりに):分配的正義・属地・無知
さて、人権をめぐる長々としたお話も今回で終わりです。
"おーしーえてー、くだーさい、この世に生きとし生ける者の、すーべーてに、こーこーろが、こころがあるのなーらー。
チョンは氏ねですか、イタ公は犯れですか、我滅日帝ですか、アメは逝けですか。
私の愛しい人も、首吊ってしまえですかー。"
てな事を前回の最後のほうでは結局言ってたわけだが、そういってしまう心情のお話、つまり属地のお話からはじめましょうか。
え、「属地」っていっても分からない?要するに「生まれによるアイデンティティのありよう」とでも言えば良いのかね。
そして、私は
"非常に残念だが、属地、無知の問題は、再分配による解決が今の段階では難しい"
と思っておるのですよ。
以下、なるべく難しくなりすぎないように、説明してみましょうか。
さて、繰り返すけれど、私は別に"差別発言がいいことだ"とは思っておりません。
然れども、然れどもね、それでも事前に発言を規制してしまうことは、厳に慎まなければならない、と思っているのですよ。
え、差別的な発言にあったことないからそんなことがいえるのだろう?とんでもございません、直接心をえぐるものから、遠まわしな皮肉、多人数による無視、取り囲みによる暴言にいたるまで、およそ言語による虐待はほとんど経験済みですよ、私は。
なんせ祖母と母が別々の新興宗教にはまってて、それの集会に連れ出されたりしてますからね、しかもよせば良いのにその説明の矛盾を言い立てたりもしましたから、およそ考えられる限りの悪口を言われてきているのですよ。
前回の冒頭でもギャグにしてみたけど、クソ貧乏だったから、それだけで悪口を言われたりもしてきたしね。
さて(が多いが)、そんなことはどうでもよろしい、属地の問題でしたね。
簡単にいいましょう、日本人はまだ"日系アジア人"という意識が持てずにいます(というかそんな意識持ってる人のほうがかなり少数です。)
その状態で、どんなに公平であっても、何らかの発言が"差別だ"と認定されたら、
"そんなこといわれたって、俺は日本人なんじゃ、こんなことになったのも、三国人のせいなんじゃ、あいつら、排斥したる!!"
ていって、反動的にナショナル・アイデンティティに染まってしまう人を増やしてしまうんだよね。
そして、逆に
"やっぱり、俺は韓国人(中国人、アラブ人・・・etc)なんじゃ、日本の奴ら、ニクイ"
っていうほうも、同じように増やしていってしまうんだよね。
そんなことはない。
って言う人がいるかもしれないけれど、そういう人は、日本よりも先に人権擁護機関を設置した、EUの例を十分に検討してるのかねぇ。
欧州(特に大陸ヨーロッパ)は、昔から地続きであって、人の交流も盛んだったし、混血もかなり進んでいるんだけど、そのせいもあってか"欧州人であり、フランス人"とか、"欧州人であり、イタリア人"とか、"欧州人であり、ドイツ人"っていうアイデンティティのありようが、結構あるんだよね。
そういったことを背景に、EUが発足してからしばらくしてEU加盟国の全ての国が、欧州人権裁判所の裁判を受けられるように、欧州人権条約に加入することになったんだよね。
でも、そうなった結果起こったことは、
"ドイツにおけるネオナチ運動および、トルコ人難民(および移民)排斥運動の高まり"
"フランスにおけるアフリカ植民地系フランス人排斥運動"
"オーストリア、イタリアをはじめとする、欧州各国の右傾化および極右的政党の台頭"
といった、ナショナリズムに直接、単純に訴えかける意見が、強硬になっていったんだよね(もちろんこれだけが原因ではないけれど)。
つまり"いきなり欧州人って言われても、やっぱり俺らはドイツ人(フランス人、イタリア人・・・)"って思った人たちが、かなりの数いたっていうことなんだ。
ヨーロッパでは、まだ、それでも"欧州人"っていうアイデンティティもあったから、完全に極右的な政権が誕生したのは少数で済んだけれど、"アジア人"なんてアイデンティティは、日本人も韓国人も中国人も、あんまり持ってるようには見えないんだけどねぇ(在日の人の中には、"韓国系日本人""中国系日本人"だと思ってる人も少数ながらいるらしいが)。
私が、属地(と無知)が、再分配による解決が難しい、というのは、こういうことを考えてのことなんだよねぇ、もう少し具体的にいうと
"たまたま在日に生まれてしまったがために、『日本人なんかみんな死んじゃえ』って思う人を、私は止められない"
っていうことなんだよね。
また、知らないがゆえに差別発言をしてしまう人も、同様にとめられない。
本当のことを言えば、"正義の配分"として、全ての属地の観念を、全ての人が持つことができれば良いんだけれど、
"私は日本人であり、中国人であり、韓国人であり、アジア人であり、地球人であり、宇宙人であり・・・"
なんて常々思ってたら、イッっちゃった人になりそうだしねぇ。
また、教育したからって、そういった属地の観念が、うまく多重性を持つとは限らないんだよねぇ、イスラエルで自爆テロをしているパレスチナの人って、結構インテリの人が多いし、原理主義に走る人にも、考え抜いた末にいってしまう人が結構いるしねぇ。
もちろん、差別に対する教育がいらないといってるんじゃなくて、強化するべきだけれども、完全に多重化することは、不可能だということなんだけれど。
それでも尚、何らかの国の機関による発言の自由の制限をするならば、どうしても、"恣意的な運用"か、"言葉上だけ取り締まる『言葉狩り』"に堕してしまうんじゃないかと思うんだけどねぇ。
そして、法制化して、締め付けを厳しくすればするほど、この傾向は強まっていくんだと思うけどねぇ。
おっと、やっぱり話が堅くなってしまったね。
"金持ちはアホですか、貧乏は下衆ですか、DQNは消せますか、キモメンはどうですか、
ちょっと、頭がいいからって、人をバカに、してませんかー。
オタは氏ねですか、ウヨは逝けですか、サヨは消せますか、バカはどうですか、教えてー、くだーさいー。"
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