2006年4月23日 (日)

独島危機

中国の隣国、日本と韓国で一触即発の危機が…ひとまずは収まったようです。

今回は4月21日付け『新京報』に掲載された、三力なる人物の「独島危機は東アジア安全の脆弱性を暴露した」という文章を一部ご紹介します。

韓日で島嶼の主権争いが今日のこのような程度まで発展したのも、韓国だけでなく、東北アジア全域の安全保障上の脆弱性を表している。ヨーロッパがすでにいわゆる「ポスト近代社会」の段階に入り、領土・領海問題が非常に少なくなり、伝統的主権概念がすでに相当薄くなって、相互に主権業務を分担して行うことが可能になった状況と比べ、東アジア世界は近年、伝統的な主権問題によって紛争が度々起こっている。伝統的主権、海洋権益、その他の安全保障上の問題があちこちで発生しているこの時機、東アジア世界の共同の安全保障システムの建設は、明らかに非常に不足している。

ヨーロッパ世界と違いは、現在の東アジア世界はそれ自身について言えば、全体的に特殊な歴史の段階に位置しているということだ。19世紀半ば以来、被植民地化され、20世紀半ば以降、普遍的に国家解放を獲得、および20世紀後半以来、普遍的に経済発展を遂げた後、大部分の東アジア国家は現在、近代国民国家の意義上での主体の覚醒が発生したばかりの段階にある。アイデンティティが強化されている現在、伝統的に冷戦と二極構造によってコントロールされてきた民族意識と主権、権益の争いは、外部の力を借りることによって引き続きコントロールすることはできなくなっている。東アジアの未来はますます東アジア国家自身によって決定されることになる。これはある面で東アジア世界の文明復興のための条件を提供しているが、そこに隠されたリスクもかつてよりはるかに大きくなっている。

東アジアはすでに「成長期」に入っており、これから「成熟期」に向かうことになる。東アジアの安全問題には新思考が必要である。やはり、それは主に東アジア国家自身によって創造されるべきだろう。この点について言えば、次の二つのことによって決まるだろう。一つは東アジア国家の自制である。島嶼とその他の主権、権益争いが話し合いによって、ある種の解決に達する可能性はないのだろうか。常に悲観的にこの問題を見る必要はない。実際、同じく東アジア国家である東南アジア国家間でも、いまだに激烈な島嶼主権の争いが度々発生している。シンガポールとマレーシア、マレーシアとインドネシアでは、過去2、3年の間に顔や耳を真っ赤にして争い、もう少しで武力で相見えるところだった。しかし、これらの争いが最終的に本当の対立に到らなかった原因の大きな部分はこれらの国家の自制にあった。

もう一つは健全な東アジア安全保障システムを建設することである。地域の長期の平和のためには、一定の安全システムによって保障とすべきである。この面ではヨーロッパの20世紀後半以来の実践が良い手本を提供してくれる。東アジアにおいても、東南アジア国家がASEANを設立した後は、相互に交渉によって問題を解決することが習慣となっている。未来には東北アジアと東南アジアを包括した東アジア世界において、現在のASEANの協力システムを土台として、その組織上の健全と機能上の発展を進め、これにより、共同の東アジア安全のためにシステムの保障ができるようにする。同時に朝鮮核問題をめぐって2002年に開始された6カ国協議システムも東北アジア国家により、共同でこれを常設機構とし、東北アジア世界の安全の確立に適合した土台とするべきである。

*エントリのタイトルと一部内容を変更しました。

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2006年4月17日 (月)

6カ国協議のゆくえ

中国の隣国・日本で先日、学術会議「北東アジア協力対話」が開催されました。これを機に、朝鮮半島の非核化をめぐる6カ国協議の代表らが東京に集結しました。この会議の開催には日本の元外交官・田中均氏の尽力があったとされています(参照)。

しかし、これと時を同じくして、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの夫が、韓国人拉致被害者の金英南氏であるというDNA検査結果が発表されました。これを受け、日本の佐々江賢一郎アジア大洋州局長が拉致問題の解決を朝鮮代表の金桂冠次官に強く迫る場面もあったと報道されています。また、拉致問題が日朝両国の間だけの問題ではなく、国際問題化する形勢を見せています。

朝鮮代表団はこれに態度を硬化させたようです。4月13日には東京都内のホテルで「(6カ国協議再開の)遅延は悪いことではない。この間により多くの抑止力をつくることができる」という相当な強硬発言も飛び出しました(参照)。6カ国協議再開の糸口になるかと思われた「北東アジア協力対話」ですが、むしろ状況は悪化したように見えます。

DNA検査の結果発表は日本の安倍晋三官房長官が主導したとの推測が流れています。安倍氏は以前から「朝鮮半島の非核化」という地域安全保障よりも、拉致問題という二国間問題に利益/関心を有していた人物です。今回の発表により、拉致問題を国際社会にアピールすることはある程度できたと言えますが、6カ国協議再開を最大の目標としている中国や韓国からは戸惑いの声も上がっているようです(参照)。日朝国交正常化を実現させたい田中均氏=小泉純一郎首相と、拉致問題解決を優先させたい安倍官房長官との路線の違いにより、「北東アジア協力対話」という数少ないチャンスを十分生かすことができなかったと言えそうです。

そうは言いつつも、全て日本のせいというわけではないでしょう。金桂冠氏は来日当初、アメリカ代表のヒル国務次官補との会談実現について、非常に積極的な姿勢を見せていましたが、これは実現することなく終わりました。ヒル氏が北朝鮮に対し譲歩する姿勢を見せなかったことが大きな原因でしょう。前回の6カ国協議再開のきっかけが北京での米朝直接対話だったことと考え合わせると、アメリカの態度の硬化が目立ちます。北朝鮮の積極姿勢を前にしても、無条件での6カ国協議復帰を表明しないかぎり、二国間会談を開く権限を与えられてなかったのかも知れません。このところ、チェイニー副大統領など、対北朝鮮強硬派が台頭してきていると伝えられています。

6カ国協議のゆくえはどうなるでしょうか。

先に引いた13日の金桂冠氏の発言はブラフのように聞こえます。その心は“核開発を止めてほしければ、早急に金融制裁を和らげて6カ国協議を再開せよ”というところでしょう。中国の立場は平和的手段による朝鮮半島の非核化で一貫しています(中国の国益から言って、中国周辺国で紛争が起きて欲しくはないはず)。また、中国の改革開放をモデルにした北朝鮮の経済改革を支持する姿勢を見せています。つまり、「改革はするが体制は変更しない(させない)」という立場です。金正日総書記の極秘(?)訪中が大きなニュースになったのはそれを示すシグナルではないでしょうか。

政権内部の権力闘争によって一貫した政策を打ち出せない日米両国の動きを目にして、議長国である中国はイライラさせられることになるかもしれませんね。ただ、中国も最終的には北朝鮮に譲歩を求めることになるでしょう。

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2006年4月14日 (金)

危険な民意

4月4日、広州市の治安関係の委員会で、広州市委員会副書記の張桂芳氏が、警官が「砍手党」(被害者の腕を切り落とす武装強盗)に対し、思い切って発砲できるようにすべきだ、と要求しました。

この発言は、「人民警察法」や「人民警察使用警械和武器条例」に抵触するものだとして、複数のメディアで批判されましたが、一方でインターネット上でのアンケートでは約8割の人々が張氏の発言を支持するという現象が見られました。こうしたネット上の意見に対し、『燕趙都市報』に掲載されたコラム、朱四倍「“暴を以って暴を制する”は危険な民意」をご紹介します。

考えさせられるニュースではある。バーチャルなネット空間では少なからぬ人々が自分の本音を語る。そして8割のネットユーザーが警察の発砲を支持し、ついには「除暴」を「天経地義」と考え、この種の発想の「公共性」を突出させるためか、これは民意だ、とまで言う。しかし、現代社会において、この「除暴」の類の字面は野蛮な「江湖」時代を想起させる。民主・法治・人権を押し頂く現代社会においては、荒唐無稽なものである。

社会規範の無力が暴力の要素の成長させていること、砍手党の出現はその証拠である。わが国は現在、一つのモデルからもう一つのモデルに移る社会転換期にあるが、衝突や摩擦が起こることは必定である。社会の各領域で巨大な変化に直面している今日、社会の整合システムとコントロール・システムはこの変化に対して遅れをとっている。元々の政治を基礎とした社会のコントロールと整合システムは、いまだに社会経済を基礎としたシステムに転化しておらず、いま存在する問題は短期的には消滅しないだろう。社会心理学では、個体攻撃性の行為が生まれる原因は挫折と不公平に遭遇した後に形成された巨大な怒りであると考える。この怒りは暴力行為発生の仲介となって、一部の人を実際に暴力行為に走らせる。筆者の見るところでは、砍手党の出現した原因に注意することが「暴を以って暴を制する」よりもはるかに重要であり、理性的である。

8割のネットユーザーが「警察が発砲すること」に賛成したのは暴力にハイジャックされた民意である。イギリスの社会心理学者リチャード・スティーブンスはかつて、心理的バランスを失った社会環境では、道徳規範に違反する行為がもし発生すると、個性なき群集が集まり、極めて集団的暴力を発生させやすいと指摘している。これが「暴を以って暴を制する」が支持される原因である。しかし、この非理性的民意は現代社会と相容れることのない危険な民意である。事実、民意は必ずしも公平なわけではないし、文明的なわけでもない。社会の経験は説明する。公衆の意見は往々にしてある種の暴力性を帯びた、暴力にハイジャックされた民意であり、必ずしも我々を民主・法治の道に導いてくれるものではない。

8割のネットユーザーが「警察の発砲」に賛成したのは、感情的になった民意である。この民意は砍手党への恨みを表したものというよりは、現在の社会治安、社会安全に対する不安を表したものである。まさにこのことによって、我々は暴力の威嚇の下での民意は危険な民意であるとみなす理由がある。この前提に立って、筆者は理性的な方法で問題を解決することを期待したい。そして、政府が法治によって砍手党問題を解決し、公衆に平和で安全な環境を与えることを期待したい。理性的ではない民意を利用して目的の達成を求めるのではなく。

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2006年4月 4日 (火)

“挙国体育”の墓掘り人

3月24日付け『新京報』に、かつての女子重量挙げ全国チャンピオンで、世界記録を出したこともある鄒春蘭さんの現在の生活の様子が掲載されました。

彼女は現在、長春の某サウナで垢すりとして5平米のタコ部屋に住み込みで働いているそうです。本人曰く「小学校3年生にも満たないような学歴しかなく、ピンイン(漢字の発音をアルファベットで表したもの)も読めない」ということで、単純作業にしか従事できないということです。かつてのスター選手の貧しい生活に多くの人々がショックを受けたようです。

翌日の『新京報』は湖南省体育局体育科学研究所副所長・鐘賦春氏の「引退選手の生存状態に関心を」という意見を掲載しています。現行の体制では、選手やコーチに成績を出すことのプレッシャーがかけられており、そのため選手が同世代の人間と同じような文化や知識についての教育を受けられないと訴えています。体育学校では競技の練習時間が長く、学習時間が短いうえに、教師の質や学習環境においても一般の学校に劣っているということです。鐘氏は体育学校の教育体制の充実と引退した選手に対する職業訓練、生活補償金の必要性を訴えています。

鄒春蘭さんのニュースは体育事業のあり方についても、人々の反省を呼び起したようです。『人民日報』には殷健光氏のコラム「チャンピオンは体育事業の泥をこすり出した」が掲載され、現行の体育事業における、スポーツの成績至上主義を批判していいます。スポーツ選手の全面的な資質の向上を目指すべきところ、文化や知識面の学習が軽視されていること。本来、国民の資質を向上させるための体育事業なのに、「金メダル思想」によってイメージやメンツのための事業になっており、金メダルのためなら選手の身体にも負担をかけるという、体育事業としては本末転倒の状況になっていること。体育事業は全民衆の資質の向上を評価基準とすべきところ、金メダルや銀メダルの数が評価基準となってしまっていること。さらに選手の就業問題を無視してきたこと。鄒春蘭さんのニュースによってこすり出された、これらの泥によって体育事業が汚染されていると主張されています。

『中国保険報』には劉宇氏のコラム「鄒春蘭が“挙国体育”の墓掘り人となることを願う」が掲載されました。このコラムもオリンピックのメダル数を重視して、選手に犠牲を強いてきた従来の体育事業を批判します。かつての計画経済時代ならば引退後の職場も用意できたかもしれないが、現在はそうも行かないということです(選手に小学生なみの学力しかないのならばなおさら)。劉氏はこのような状況を生み出したのは金メダル獲得戦略を掲げた“挙国体制”であったと指摘し、その改革を訴えますが、現在は北京五輪前ということで、それも難しいと考えています。しかし、五輪が終われば金メダル獲得戦略をやめ、体育を本当の意味での体育に戻すべきだと主張しています。

しかし、これら「体育事業の市民化」とでもいうべき課題が、五輪後にも忘れ去られずに済むでしょうか。メダル数や国際大会での活躍を体育事業の評価基準にしたり、スポーツが国威発揚に利用されることは中国よりもはるかに先進的な国家においても、いまだに行われているのです。

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2006年3月27日 (月)

スティグリッツ、中国経済を語る その2

前回のエントリの反響が大きいようなので、今回もスティグリッツの講演を報じた記事をご紹介します。『新京報』「ノベール賞受賞者が“十一五”を語る 中国の過剰な貯蓄はすぐになくなる」です。ちなみに前回は清華大学での講演で、今回は北京大学での講演のようです。

中央銀行は先日、住民の貯蓄願望が強まっていると発表したが、スティグリッツは「中国の過剰な貯蓄はすぐになくなるだろう。中国はその時のために調整政策を準備しておくべきだ」と述べた。

スティグリッツは「今日、進めている政策は幅広い柔軟性があるべきだ。それによって経済の需要の変化に合わせて相応の調整を行うのである」と述べた。スティグリッツの言う政策はすなわち内需を指向する政策である。「中国は将来、輸出によって経済成長を維持するのではなく、さらに多くを内需の拡大に頼ることになるだろう」。

スティグリッツは「ただ、資金は国内の消費を抑制する要素のうちの一つであるに過ぎない。中国は現在、市場経済に転換する過程にあり、社会保障システムが弱化している。時にはこの弱化が市場保障システムの樹立の速度よりもよほど速い」と分析する。しかし、彼は矛先を変えて、「明らかに我々はバランスを把握しなければならない。西側では、ある人は過剰に強大で設計の不合理な公共保障システムが貯蓄の減少とインセンティブの減退を招くことを心配している」と述べた。

スティグリッツは国家の“創新”システムは幾つかの方面を包括していると見なす。つまり、完全な教育システム。研究型大学や独立研究機構から基礎研究に対する有力な支持が行われていること。企業部門の知識の発展と転移を促進する政策、プロジェクト、制度があること。バランスのとれた知的財産権の制度があること。資金の来源があること。創新のリスクと失敗のデメリットを減少させる政策があること。

スティグリッツはバランスのとれた知的財産権制度の問題について特に重視して論じた。彼はTRIPSとWTOに加盟したことは多くのメリットがあったとしながらも、知識のギャップを縮小することはさらに困難になったと考えている。なぜなら、TRIPSの知的財産権システムはバランスのとれたものではないからだ。知財権は巨大な社会コストとなり、独占や価格の上昇、市場の歪曲を生み出している。これらがすでにある独占権の上に立てられたり、鍵となる領域にタッチする時、社会のコストは十分巨大になる。二つの状況下での先進国(とWTO)のスタンダードなやり方は知財権を迂回することである。つまり、強制許可証を使用し、不当な市場行為を禁止するのである。この手の不当行為は発展途上国(中国のような)では特に重大である。

「知財権のもたらす創新のメリットが十分に大きいときのみ、知財権の巨大なコストは受け入れることができるのである」。スティグリッツは中国はTRIPSとWTOの枠組のもとで、できる限り知財権制度のバランスを保護するべきで、強制許可証発行等の問題での柔軟性を含め、TRIPSを充分に利用すべきであると考えている。

スティグリッツは講演中、反独占の問題について述べ、「市場経済は十分な競争があって初めてメリットが生まれる。しかし、利益をあげる最も簡単な方法は独占である。参入障壁を通じて競争を弱めるのだ。だから、積極的にして用心深い反独占機構があることが重要である」と述べた。

「多くの競争を抑制するやり方はみな現地で発生している」。そのため、スティグリッツは全国的な反独占機構だけではなく、地方に反独占機構を設けることを建議した。

その他、スティグリッツは中国が市場経済に向かう過程で、利益集団の作用を防ぐ必要があると述べた。「ある人はエネルギーが低価格に抑えられていることがすでに利益集団の影響を体現していると考えている。もし、中国の市場経済が利益集団の影響を最小限度にとどめるならば、中国はまさに中国の特色ある市場経済を作り上げることになるだろう」。

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2006年3月26日 (日)

スティグリッツ、中国経済を語る

先日、ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ氏が中国の大学などでいくつか講演を行ったようです。以下に『中国青年報』の記事「スティグリッツ:政府は小さくなりすぎることに注意せよ」の抄訳をお届けします。

中国は政府が過剰反応すること、つまり、政府の規制の強い状況から一気に規制の少ない状況になることに注意すべきだ。

“十一五”(第十一次五カ年計画)要綱は総合的戦略で未来の政府の役割の問題を解決し、政府がどの領域で作用を発揮するか明確化した。中国がどのような市場経済モデルを選ぶにせよ、いずれも政府の役割は発揮させなければならない。市場も変調を来たすことはある。普通市場も必ずしも効率の最大化をもたらすものではない。政府と市場はバランスを保たなければならない。

最も重要なのは自分に適した市場経済モデルを選ぶことである。異なる市場モデルには異なるデメリットがあり、また異なった評価の指標がある。中国はどのような指数、指標によって、中国市場経済体制建設の状況を評価するのか考えなければならない。

ひとつ、重要なのは中間層の収入状況である。アメリカの過去5年間のGDPは毎年3〜4%の速度で増加しているが、中間層の収入は下降している。統計によれば、アメリカの中間層の収入は5年前より平均1500ドル下がっている。つまり、アメリカは豊かになっているのだが、貧しい人はかえって増加している。

もう一つ、重要な指標は環境指標である。もし、環境を代価としてGDPを増加させても、最終的には貧困を激化させるだけだろう。よって、経済成長を計算する時には、環境の損耗も計算に入れなくてはならない。

中国政府は人間開発指数(HDI)を評価システムの中に入れるべきだ。この指数は健康や受けた教育の程度などを含む。中国は歴史上、最も成功した貧困救済国家だが、中国のジニ係数はアジアで最高である。

中国が自主的で創造的なシステムを作るなら、知的財産権の過剰な保護を避けるよう注意すべきだ。

知的財産権の過保護の結果は低効率と独占であり、時にはイノベーションを阻害し、市場経済の回転を損害する。たとえば、専売特許障害のことである。今日、ソフト方面では数十万の特許がすでにイノベーションを阻害している。これら特許はたとえ一度読むだけでも多くの時間を消耗してしまう。

中国が知的財産権システムを作るなら、できる限り、世界の知的財産権システムとバランスをとるべきだ。特に薬物の領域では知的財産権の役割を最小限にする。現在、アメリカの医薬基金のやり方がいい方法である。新薬が開発されると、政府により買われて、公共産品に変わり、病人は安い価格でこの薬品を使うことが出来る。

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2006年3月19日 (日)

八栄八恥

3月4日、共産党総書記・国家主席である胡錦濤をはじめとする、呉邦国、温家宝など党および議会・政府の要人が、協議機関である政治協商会議の各分科会に出席し、討論に参加しました。

中国民主同盟・中国民主促進会の連合会議に参加した胡錦濤主席は「広範な幹部・群集、特に青少年が社会主義栄辱観を樹立するように指導しなければならない」と発言しました。

この「社会主義栄辱観」を列挙しますと、「祖国を熱愛すること」が栄、「祖国に危害を加えること」が恥。「人民に服務すること」が栄、「人民に背くこと」が恥。「科学を崇敬すること」が栄、「無知蒙昧」が恥。「労働に勤しむこと」が栄、「怠けることを好み、労働を嫌うこと」が恥。「団結し助け合うこと」が栄、「人を傷つけ、利己的であること」が恥。「誠実で信を守ること」が栄、「利を見て義を忘れること」が恥。「法規を遵守すること」が栄、「法に背き、紀律を乱すこと」が恥。「刻苦奮闘すること」が栄、「贅沢・淫蕩」が恥、ということです。

この発言は「八栄八恥」と概括され、各方面で積極的な宣伝活動が行われています。『人民日報』評論員論文「社会主義栄辱観の樹立――重大かつ緊迫した戦略的任務」は、

…栄辱観は世界観・人生観・価値観の重要な内容である。正確な栄辱観を樹立することは社会の文明程度の指標となり、経済・社会の順調な発展に必然の要求である。我々は社会主義栄辱観を樹立することの必要性、重要性と緊迫性を深刻に認識しなければならない。

…事実が証明していることは、健康な社会の風紀がなく、良好な道徳基準がなければ、一国の経済も発展せず、総合国力も強大にならないし、世界の民族の林に屹立することもさらに難しいということである。

と、栄辱観の樹立の必要性と緊迫性が述べられています。また、周済教育部長は「社会主義栄辱観を教材に、教室に、学生の頭脳に引き入れなければならない」と述べており、北京の教育関係者たちが開催した座談会では「八栄八恥」を学生の新しい座右の銘にすべきこと、これを童謡にして宣伝することなどが提起された言います(『北京晨報』記事)。

一見したところ、「八栄八恥」は普遍的に通用する道徳を列挙したようなものですが、これが「社会主義栄辱観」とされているとおり、ここでいう「愛国」とは共産党が指導する中華人民共和国を愛することにほかなりません。「八栄」の第一が「愛国」であることや、先ほど引いた『人民日報』記事が国力の増大や「世界の民族の林に屹立」することを目標に掲げていることからもわかるとおり、「愛国心」が道徳の最上位に位置づけられています。

このような「心の問題」への介入は、胡錦濤政権が2004年秋以来、打ち出している「党の執政能力の向上」というテーマと関わっていると考えられます。これは腐敗や汚職、非効率を改め、より良いガバナンスを提供することを目標とするものです。思想統制もこの文脈で考えることができます。

しかし、腐敗や非効率をもたらす根本的な原因は、民主的な監督を受けない一党独裁体制にあると言えるでしょう。より良いガバナンスを行うためには執政能力の向上が必要なのに、党の独裁を強化することが腐敗や非効率をもたらすというジレンマがあります。

よって、「執政能力の向上」が思想統制をもたらした、というわけではないのかもしれません。反対に、「執政能力の向上」のための手段やリソースが限られており、実現もできていないので、結果として「心の問題」にしか手をつけられない、ということかもしれません。また、政策的な失敗を政治体制ではなく、個人のモラルの問題として処理するための布石であるようにも見えてしまいます。

ちなみに3月4日、経済界の分科会に出席した温家宝総理は「我々は引き続き民情を深く理解し、民意を十分反映し、民の智恵を広く集中する政策決定機制を完璧にし、それでもって科学的、民主的政策決定を制度化、規範化しなければならない」と述べているのですが、こちらはほとんど顧みられていないようです。

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2006年3月16日 (木)

読書無用論

湖南のニュース・サイト「紅網」に掲載された「読書無用論は反知性主義の変種」の要約をお届けします。

改革初期は知識分子の地位が高くなく、収入も低かったために「読書無用論」が流行したが、時代の発展にともない、社会や産業の構造が変化していくなかで多くの知識分子が国家建設に参与することになり、「読書してこそ見込みがある」という認識が広まった。しかし、最近になって再び「読書無用論」が復活しつつある。

某農村の四名の大卒者のうち、三名が職を見つけられなかったことで、「勉強なんて役に立たない。中学さえ出ていればいい。大切なのは金が稼げるかどうかだ」という共通認識が農村に広まっているという。

反知性主義には知性に対する懐疑と、知識人に対する懐疑・蔑視とがある。中国の歴史を振り返れば、悠久の文明を支えた知識に対する崇敬が主流だったが、焚書坑儒や文化大革命など反知性主義による惨劇もあった。グローバル化が進む現在、中国の国家イデオロギーは反知性主義から脱出したようであるが、ホーフスタッターが言うように「反知性主義とはアンビバレントな感情であり、知性に対する絶対的な排斥というのは珍しい」。よって、反知性主義の根は深く、国人の頭の中にまださまよっている。

農民の中で読書無用論が流行するのは大学進学率上昇政策と労働市場のアンバランスの悪しき結果によるものだが、ただの表象である。欧米のような先進国であっても大学生の就職問題(就職難、機会不平等など)は真に解決できているとは言えない。しかし、たいていの人は自分の能力不足のせいだと考えている。市民は社会制度を批判するにしても非常に理知的に行う。中国のように知識そのものに矛先を向けることはまず、ない。 読書無用論は反知性主義の変種であり、国人の思考の中に長く潜伏していたものである。今回はそれが公共政策の失敗と教育体制の弊によって生まれた社会に対する不満に乗じて噴出しただけなのだ。

このような反知性主義がだんだんと主流思想に浸入しつつある。このような傾向に抵抗しないならば、その害は絶大である。中国の人民の素質は低く、エリートは数少ない。農村は特にそうだ。映画『天下無賊』には「21世紀に欠けているものは人材だ」というセリフがあった。

そして、21世紀の人材が必要とするのはもちろん、知識なのである。

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<ライターのつぶやき>その3

一ヶ月ほど更新をさぼってしまいました。

今後は週1回更新を目標に頑張ります。

実は、20.75世紀メディアのテーマは「(グッド・)ガバナンス」なんですが、時間がないときは個人的に気になったニュースの要約だけで済ませます。

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2006年2月16日 (木)

中国のネット規制

少し時間が空いてしまいました。

さて、中国でメディアやインターネットに対する規制が強化しつつあることが欧米や日本のメディアで報じられています。これに対し、日本『産経新聞』によれば、著名人らがインターネット上で言論統制に反対する声明を発表するなど、統制強化への反発が強まっているようです(声明はBBC中文で見ることができます)。

一方、中国政府は内外のメディアに対し、中国のインターネット管理について公式見解を発表しています。2月15日付け『新京報』記事が、国務院新聞弁公室と外交部の見解を合わせて伝えています。

国務院新聞弁公室ネットワーク局副局長・劉正栄は北京で次のように述べた。「現在までのところ、中国ではインターネット上で言論を発表したというだけで逮捕された人はいない」。

劉正栄は内外の記者に中国のネット管理の方法を紹介した。彼は、中国のネット管理の方法は国際的に通用しているやり方に合致していると述べた。

彼はさらに述べた。中国のネットユーザーの言論は十分活発であり、内容は様々な方面に及んでおり、その中には政治性がかなり強いものも含まれている。ネット上のどのような行動が刑事責任を負うかについては、「インターネット・セキュリティの擁護に関する全人代常務委員会の決定」の中で明確に述べてある。

中国のインターネット市場は開放的で、海外企業が中国のネット市場に参入し、合法的に業務を展開することを歓迎する。中国は海外のネット企業の中国における合法権益を保護する。劉正栄は、いかなる企業も中国の法律を遵守すべきだと語った。

劉正栄は補足して、いかなる国家の警察や法律執行機関がネット上の違法行為を見て見ぬふりをするとは、理解できないことだと述べた。

劉正栄は、米国の「愛国者法」を研究したことがあり、この法は法律執行部門が如何に公民の個人情報と通信行為を取得するかについて、具体的に規定していると述べた。

次は外交部の意見です。

外交部報道官・劉建超は昨日午後、定例記者会見を開き、中国政府は法に基づいて、インターネットに対する管理を実行しており、できる限りにおいて違法なものや社会道徳に背くもの、特に青少年に有害なコンテンツがネット上で伝達されることを制限していると述べた。このようにする目的は大部分の公衆の利益を擁護するためであり、情にも理にも合うし、合法的である。外国企業が中国で活動しようとするなら、やはり中国の法律法規を守るべきである。

劉建超は、一部メディアと人物がGoogleとYahooに関連する状況について、中国を批判し、責めているが、私は彼らが中国のネット方面についての政策についてはっきり知らないのではないかと思っている、と述べた。

彼はまた、中国のネットの発展の中で、一部に有害な、さらには違法なコンテンツが現れたが、こうしたものに対し、各国ともそれぞれ政策と法規を持っている、と述べた。

中国新聞網では、劉正栄副局長が中国から閲覧できないサイトについて述べたことが報じられていますが、そこでも「中国の法律に違反した内容(主にポルノとテロ)だから」と説明されています。また、「ある特定の国や特定のサイトに対して特別の基準を設けているわけではなく、この措置の情報は透明性がある」、「中国で見られないサイトの数は非常に少なく、外国の有名サイトはすべて閲覧できる」とも述べ、ネット管理を正当化しています。

最後にBBC中文から、先の声明の一節を紹介しましょう。

歴史は証明している。全体主義の制度だけが新聞統制を必要とし、永遠に大衆に真相を知らせず、愚民政策を貫徹し、“一言堂”(自分の一存で物事を決める人)の永久不滅を謀ろうとする。しかし、無情な現実は証明している。悪性の新聞統制の土壌が、李大同、盧躍剛、杜涌濤、賀延光と、形弱にして質堅なる、永久の活力をもつ氷点グループを生み出すことを決定づけるのである。これは歴史の唯物論であり、これは生活の弁証法である。いかなる人の欲望によっても、それは動かすことはできないものなのである。

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