苟麗の死
売春していた女性が客の男性に殺されるという事件が蘭州で発生しました。彼女の名は苟麗(仮名)。後に逮捕された肉体労働の青年は、かつて別の売春婦に200元を騙し取られたことから売春婦全体への憎しみを抱いており、その復讐心から事件を起こしたのでした。捜査の過程で見つかった苟麗の日記はほとんど夫への愛情の言葉で埋め尽くされていました。
この事件の背景を社会派報道では定評のある『南方週末』誌が報道しています。その記事によれば、苟麗は貧しい農村出身の青年・小林(仮名)と出会い、愛し合い始めました。しかし、二人の結婚式のために小林の家族は借金を背負ってしまいました。家族を助けるため、二人は黄土高原の農村から蘭州に出稼ぎに出てたのでした。彼らが借りたのはやっと寝られるだけの狭い部屋。ドアを開ければ隣の共同トイレの匂いが伝わってきました。二人は仕事を始めますが、とても借金返済のたしになるものではありませんでした。苟麗は夫に秘密にして売春を始めてしまいます。これは後になって小林にも発覚しました。彼は苟麗を責めるのですが、「家族のため」という彼女の言葉に彼は自分の無能さを感じ、もはや苟麗の仕事を黙っているしかなくなりました。
しかし、4月になって苟麗は当局の取り締まりに遭い、収容所での6ヶ月間の再教育を受けなければならなくなりました。小林は彼女のために商売道具のオートバイを売って再教育の費用に充てました。苟麗と小林は引き裂かれながらもお互いを思いやる生活を続けていきました。
8月下旬、苟麗は収容所内での態度が良かったため、予定よりも早く出所することになりました。しかし、彼女が収容所に入っている期間中、小林の借金はさらに増えていました。二人が一緒にいられたのはたった1日。小林は北京に出稼ぎに行き、苟麗には親戚に金を借りるように頼み、返済の迫っている借金を片付けた後に二人で北京で新しい生活を始めようと考えました。そして、小林が北京へと発ったその4日後、事件が発生したのでした。苟麗はなぜ再び売春に手を染めてしまったのか。『南方週末』の取材に対し、小林は「同じように貧しい実家に借金をしたくなかったのと、1日でも早く北京の自分に会いたかったのでは」と涙ながらに答えました。
夫への愛情と質素な生活を記した日記と、体を売るたびに作っていたという折り紙で作ったハートが彼女の遺品としてこの世に残されました。
この事件を受けて南方グループの系列紙『南方都市報』に唐昊氏(華南師範大学教授)のコラム「貧困に生まれた人生、身売りを迫られる年代」が掲載されました。彼は貧困の原因として制度の不備を訴えます。労働力は金にならず、知識を売ろうにも貧困のために教育を受けられなかった貧困階層。商業社会の中で彼らが売ることができるのは肉体や安全、尊厳でしかないと指摘し、必要なのは平等な上昇機会を与えることである、という主張がなされます。
唐氏のコラムに対して、『中国青年報』には一波なる人物の「弱者の悲劇を全て社会のせいにしてはいけない」というコラムが掲載されました。このコラムは、苟麗と小林夫婦は月に650元の収入があったことを指摘し、西部地区では生活を維持できるもので、節約すれば余裕もあったはずだとし、苟麗はこのような地道な労働を嫌ったのであり、苟麗個人のモラルに問題があると指摘します。苟麗のような境遇の女性は数多おり、その多くは正業をしているのに苟麗には何故それができないのか、と。最近はこのような意見が弱者のためにタブーになっているとした上で、貧困層には物質的援助のほか、「人文素質」を上昇させ、外部に救済を求めることを知ると同時に自助努力によって自己実現を目指すべき、という主張をします。
その後、『南方都市報』には『法制日報』記者・十年砍柴氏のコラム『幸福を求める貧困者が互いを傷つける』が掲載されました。売春は法律的にも道徳的にも許される行為ではないとしながらも、彼女が幸福な家庭を追求していくうちについに売春をせざるを得なくなったとします。さらに、この事件の犯人も200元のために売春婦を憎むようになった貧困者であることに注目します。貧困層が富裕層に不公平を感じてもどうすることもできないことから、その憎しみが往々にして同じ貧困層に向かうことになることを指摘します。貧困層内の矛盾が激烈になるかどうかは社会全体の資源分配と関係があり、貧困者の数が多すぎるのに、貧困者の資源が少なすぎるとき、貧困層内部でお互いへの憎しみと傷害が引き起こされるのだとしています。
皆さんの意見はいかがでしょうか。貧困とは個人の能力・資質の問題でしょうか。それとも社会や制度の問題なのでしょうか。
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