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2005年12月24日 (土)

温家宝演説を読む

今月中旬、ASEAN+3首脳会議、そして、史上初めての東アジア首脳会議がマレーシアの首都クアラルンプールで開催されました。中国からは温家宝国務院総理が出席しました。

彼がそれぞれの首脳会議で発表した演説の全文が外交部ホームページで公開されています。12日のASEAN+3首脳会議で発表された「協力を強固にし深化させ、共に美しい未来を創ろう」(以下、10+3演説と呼ぶ)、14日の東アジア首脳会議で発表された「開放と寛容を堅持し、Win-Winを実現しよう」(以下、EAS演説と呼ぶ)という二つの演説では、ともに東アジア協力におけるASEANの主導権を認めています。

10+3演説では次のように述べられています。

中国は東アジア地域の一員であり、中国の発展は東アジア各国の支持と幇助とは切っても切れない。東アジアの繁栄と振興も中国の発展からは離れることができない。堅忍不抜に地域協力を進めていくことは中国の外交政策の重要な構成部分となっている。中国は地域協力の主導権を求めるつもりは全く無い。中国は各国の共同利益に符合し、東アジア協力の発展に有利となるイニシアティブの一切を支持する。ASEANは10+3協力の組織者であり、主要な推進力である。これは各国の現実的かつ賢明な選択である。中国はASEANが主導的役割を担うことを引き続き支持し、また、日中韓が協調を強化し、十分にそれぞれの優勢と作用を発揮するように主張する。中国は本地域を閉鎖的、あるいは排他的集団にすることに反対し、10+3とアメリカ、EUおよびその他域外国家と組織とのコミュニケーションを強化し、不断に共同利益を拡大し、共同発展を図ることを支持する。

EAS演説では次のように述べます。

事実はすでに中国が責任感ある国家であることを証明している。中国は世界平和の擁護と共同発展を促進する堅実なパワーである。国際情勢がいかに変幻しても中国は本地域の人民にとって信頼のおける、頼れるパートナーである。中国は絶対に本地域で支配的な地位を求めることはない。中国の発展はいかなる人にとっても障害ではなく、いかなる国にとっても脅威を構成しない。安定し、開放的で、繁栄した中国はきっと地域と世界の平和の擁護、人類の共同発展のためにさらに大きな貢献をするだろう。

こうした発言は参加各国の間にも存在する中国脅威論を払拭する意味があるでしょう。同時に、首脳会議には参加していないものの、中国が東アジア秩序の形成でリーダーシップを握ることを警戒している米国の疑念を和らげる意図があるものと思われます。10+3演説には引用したように、これを閉鎖的、排他的組織にすることに反対し、「アメリカ、EUおよびその他域外国家と組織とのコミュニケーションを強化」を打ち出しており、EAS演説にも「中国は閉鎖的、排他的あるいは、特定国を目標とした東アジア協力には反対する」と述べる箇所が出てきます。

他方、二つの演説で差が出た部分があります。EAS演説では、(1)発展を中心として、共同繁栄を促進、(2)和睦関係をつくり、平和的安定を擁護、(3)協力を道筋として、Win-Winを実現する…と、大まかに議題を提起しただけなのに対し、10+3演説では、(1)長期的な発展に着目し、協力の推進を着実にする、(2)柔軟な方式を採用し、開放的プロセスを保持する、(3)相互の信任を強め、大同を求め小異を残す、(4)各国に配慮し、Win-Winの成果を求める…という、課題が提出された後、(1)ASEAN+3の10周年に合わせ、2007年に共同宣言を発表する、(2)FTAの研究、チェンマイ・イニシアティブの加速化など経済貿易方面の協力を進める、(3)鳥インフルエンザなど疫病や自然災害対策などの情報交換と技術協力を進める(中国はアジア地域災害研究センターを建設する)、(4)発展の差を縮小。国連開発計画が中国に設置した貧困扶助センターにて、来年、第二回貧困扶助ハイレベル検討会を開催する。農業技術協力も行う、(5)テロ、腐敗、麻薬販売、海上防衛など非伝統的安全領域での協力。また中国は10+3の軍事体育交流を発案する、(6)文化、教育、青年の交流を進める。中国は来年、アジア芸術祭を開催するがそのなかでASEAN文化週も開催する。また、学歴・学位の相互認定を進める…などという具体的な発案をしています。

ここには東アジア首脳会議が初開催のため、その具体的な方向性がいまだ固まっていないこと、中国自身がASEAN+3を東アジア共同体の母体と位置づけようとしていること(ちなみにEAS演説には「共同体」の文字がありません)などが影響していると考えられます。

他方、EAS演説には「科学的発展観」、「和諧社会」、「睦隣、安隣、富隣」、「平和五原則」、「新安全観」など中国の内政・外交・安保政策を表すキーワードが一挙に登場しており、より中国脅威論の払拭に努めた感があります。インドやオーストラリアが参加したこともその原因かもしれません。また東アジア首脳会議の方が国際的な注目度が高かったこともあるでしょう。

さて、温家宝総理は中国は支配的地位を求めないと言いましたが、中国の隣国・日本のメディアでは今次の東アジア首脳会議は日中両国の主導権争いとイメージされてきました。これは中国と日本、どちらが優勢と見るかという立場を問わず、です。一方、中国メディアの一部は「主導権争い」というイメージが東アジア協力を阻害する要因となることに懸念を持っているように思われます(例えば『環球時報』に掲載された鼎談)。

とはいえ、中国メディアにも中国の影響力増大と日本の相対的な地位低下を並べて論じているものも沢山あります。どうも、東アジア一体化を阻害するような日中関係の悪循環が続きそうな気がします。

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2005年12月17日 (土)

マレーシアにおける中国観の一端

日本の最大野党・民主党党首の前原誠司氏が中国に訪問する以前にアメリカで演説し、中国の軍拡は「現実の脅威」であると指摘したことが、中国の反発を呼んでいます。

12月14日の外交部定例記者会見において、秦剛発言人(報道官)は次のように述べています。

中国人民は古より平和を愛好しており、我々は「和を貴しと為す」を主張している。わが国はいまだかつて他国を侵略したことはなく、他国の領土で殺人・放火を行ったことはない。

この発言は日本『産経新聞』でも報道されています(共同通信社の配信記事)。記事中の「中国は1949年の共産党政権誕生以来、50年の朝鮮戦争、62年の中印国境紛争、69年の中ソ国境紛争、79年の中越紛争など数多くの軍事紛争を経験している」という文章が暗示するように、秦剛氏の発言は日本で違和感を持たれるものではないでしょうか。

ところで、日本のテレビ局TBSのニュース番組「ニュース23」では12月12~14日まで特集「奔流アジア」が放送されました。第2回目の13日は東南アジア諸国における中国の存在感の高まりに焦点を当てたものになっていましたが、そのなかで、「日本は侵略のイメージを拭えないが、中国は他国を侵略したことはない」というマレーシアのジャーナリストの発言が印象深かったです。

もちろん、このジャーナリスト氏のごく個人的な考え方かも知れませんし、日本のテレビ局が意図的な取り上げ方をしたのかも知れません。

しかし、最近の報じられた日本『毎日新聞』によるマハティール氏のインタビューは図らずも、このジャーナリスト氏の意見が決して孤立したものではないということを裏付けているように思われます。

--憲法改正問題、とりわけ憲法9条の改正案をどう見ますか。

マ氏 隣国に脅威を与えることになる。日本はアジア諸国の中で唯一他のアジア諸国を征服しようとして植民地化した。だからいまだに脅威に思っている隣国がある。中国は4000年もの間、大国だが、中国の一部とされる国以外を征服したりはしなかった。ベトナム国境で紛争があったが、ベトナムが勝利を治めた。

マレーシアは中国と1000年以上も貿易関係にあるが、一度も中国に侵略されたことはない。ところが、欧州は、開国してわずか2年でマラッカを侵略した。そして、どんどん植民地化した。明治維新後、日本は欧州のやり方をまねしてしまった。

マハティール氏の発言にも微妙な部分が見受けられますが、日本の中国観とは随分異なっていて、なかなか興味深いものがあります。東南アジア諸国も一枚岩というわけではないし、各国の内部でも中国観は多元化しているものと思われますが、だからこそ、このような見方もあるのだということを知っておいて損は無いと思います。

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2005年12月16日 (金)

王畿と諸侯

すでに中国の隣国・日本でも報道されていますが、広東省汕尾市東洲村において風力発電所をめぐる土地収用に抗議する住民と武装警察が衝突、住民側に死者が出るという事件が発生しています(なお、地方当局はこれを「誤射」と説明しています)。また、石炭需要が高まる冬に入ってから多数の死傷者を出す炭鉱事故が頻発しています。これら、事故が発生した炭鉱の多くには地方における官と経営者の癒着があると言います。

このような土地収用にまつわる問題や官民癒着事件などの発生の原因の一つとして、中央政府の決定に地方政府が従わないということが挙げられます。『瞭望』の記事「中央政令の統一を擁護し、中央と地方の職権を規範化せよ」によれば、地方政府が保護主義的手法によって全国的な統一市場を形成することを妨げているだけなく、地方の経済自主権の拡大や財政・税務改革という背景のもとで強力に財源拡大を目指すようになっており、そのなかで政府の権威を傷つける挙動も現れていると指摘します。

たとえば、土地収用や住民移転の過程で民衆の利益に対する関心が足りないことが、党と中央政府の全体のイメージを損なっており、また、中央のマクロコントロールに先んじてひそかに対策を練ったり、酷いものになれば中央の政策に対し(卓球で言う)エッジボールを返せば、利益を得られると誤読している地方もあるとのことです。さらに、中央の権威を貶めるのは地方政府と経済界の癒着であり、これにより中央からの政策が骨抜きにされているといいます。

12月13日付けシンガポール『聯合早報』は、中央と地方との関係についての特集記事を掲載しています。北京の于沢遠氏は「中央と地方との関係は法制化を要す」という記事のなかで、毛沢東や鄧小平時代のように指導者のカリスマ性に頼って地方に言うことを聞かせることは難しくなったと指摘。現在のような指導者を核心とした中央の権威を徐々に憲法や法律によって保障される中央権力へと変えていき、最終的には人治ではなく法治によって中央と地方の関係を協調するように提言します。これにはもちろん中国の政治体制改革が必要だと主張します。

また、張従興氏「鍵は執政の合法性にあり」も東洲村の事件から語り始め、現在の中国大都市の発展は小都市を犠牲にしたものだと言います。胡温(胡錦濤・温家宝)体制になって以来、「三農問題」(農民・農村・農業問題)を重視し、中央政府が農業税の取り消しを宣言するなど「徳政」を行っているのはその厳重性を表しているとします。しかし、張氏はこのような「徳政」を実行するには地方の協力が必要だと言います。さもなければ、「王畿」の「徳政」が、「諸侯国」では「庸政」、「劣政」、最後には「暴政」になってしまうとします。張氏もかつてのカリスマによる指導や財政的に地方を拘束する手段は使えなくなってきていると言い、中央政府は公認された執政の合法性を取得しなければならないと指摘します。そのための最も直接的な方法は全民選挙だが、中国政治の現実からいえば不可能。しかし全人代制度の改善や党員による党指導者の直接選挙は可能であるし、そうすべきだというのが張氏の主張です。

ところで、『フォーリン・アフェアーズ』(日本では『論座』2006年1月号掲載)にアメリカのアジア専門家エリザベス・エコノミー氏のインタビューが掲載されているのですが、偶然にも、ここでも中央と地方の関係が取り上げられています。彼女は鳥インフルエンザの情報にしろ、知的所有権の保護にしろ、中国が国際社会に責任を果たすためには地方政府の抜本的な制度改革や捜査当局への資本投入の増加によって、すぐれた地方統治システムを作り上げることが不可欠だとコメントしています。

しかし、エコノミー氏が言うように「政治的にも経済的にもそのプロセスは困難であり、長い時間を必要とする」でしょう。短期的には、中国にとっても国際社会にとっても厳しい時間が続きそうです。

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2005年12月15日 (木)

ハルビン巨額医療費事件と医療の市場化

松花江の汚染によりハルビン市で水道供給が停止された11月下旬、ハルビンではもう一つの大事件が発生していました。

翁文輝氏は悪性リンパ腫のため、ハルビン医科大学附属第二医院に入院していましたが、治療が効を奏せず、67日間の入院生活の後に亡くなりました。しかしその後、驚くべきことに550万元(1元=約14.5円)という法外な治療費が請求されていたことが家族の告発から発覚しました。これが社会的に大きな注目を集め、共産党中央紀律検査委員会(中紀委。党員や党活動を監督する機関)や監察部(中央政府の監察機関)などが調査チームを組織して、事件に対する調査を行うまでに到っています。

しかし、『民主与法制時報』に掲載された劉海明氏のコラム「中紀委は病院の“乱収費”を根治できるか」(「乱収費」とは規則外の費用徴収のこと)は、中紀委が今回の事件を調査する能力があることは疑わないとしながらも、中紀委が全ての事件に介入できるわけではないと指摘し、今回のような大きな社会事件にならない場合は、個人で病院の横暴に対抗しなければならないが、それは可能だろうかと疑問を投げかけています。そして、病院の料金制度を有効に拘束できる根本的な方法を探し出すことが必要だと指摘しています。

さて、翁氏の主治医だった王雪原氏の証言により、事件の真相が明らかになりつつあります。また、彼の証言は現在行われている医療改革の暗部も明るみに出すものでした。彼は改革が行われるなかで「病院の幹部が帝王化し、一般の医療職員は奴隷化している」と証言しました。

これを受けて『燕趙都市報』に掲載された郭松民氏のコラム「幹部の帝王化、医療職員の奴隷化」(12月6日)は、国有企業改革が少数の人々の利益のために社会全体がコストを引き受けなければならない「両極化」を生んだと批判する香港の経済学者・朗咸平氏の言葉を参照しながら、医療改革においても「両極化」によって、病院経営層が自身の利益最大化を図り、社会全体が医療改革のコストを受け入れなければならないという弊害が現れていると指摘します。郭氏は主流の経済学者たちがこのような改革を経済学用語で粉飾することによって、いかに経営層が効率を高めたか、いかに現代の企業制度に合致しているかを論証しようとしているとして厳しく批判、このような状況は大多数の人々が反対しており、彼らがコストを引き受ける能力が限界に達すれば強力に反発するだろうと警告しています。

ただし、これに先立つ12月2日、『南方都市報』に掲載された秋風氏のコラム「550万元の医薬費はいかにして出て来たか」はこの事件の原因を「市場化」に求める見方をしりぞけています。彼はこのような事件は計画経済の時代からもあったと指摘します。当時は私人の物を盗むことは「盗み」だと見なしたものの、公の物を盗むことは「盗み」だと見なさなかった、うっかり者の若者や馬鹿のふりをする中年は信じたくないことだろうが、現在の国有企業管理層の貪婪はこの種の体制の名残りであると痛烈に風刺しています。彼によれば、計画経済時代に道徳は失われており、現在の「歪んだ商業化」の下で貪婪が赤裸々に噴出したのだということになります。そのうえで最低限の道徳(これは職員自治により獲得されるべきもの)、利害関係にとらわれない監督、真正な市場競争がなければ、この貪婪を止めることはできないだろうとしています。

事件の原因が極度の市場化にあるのか、それとも市場化の不徹底にあるのかという論争に関連する形で、医師のモラルが問題なのか、制度の不備が問題なのかという議論も起こっています。12月5日の新華社記事「巨額医薬費事件は医徳教育の生きた教材」のなかで解放軍302医院の劉士敬医師は取材に対し、事件は医療サービスが市場化したことにより引き起こされたモラルハザードが原因であると応えています。これに対し、12月7日に湖南省のニュースサイト・紅網から易其洋氏の「医徳のみに頼っては巨額医療は治せない」が発表されています。易氏は病院が公益性と市場化の間で「面子を保ちつつ、腹も満たさなければいけない」状態であると指摘します。それが利益追求、ひいては医療費の巨額請求につながるのだとします。そして「朱に交われば赤くなる」の謂いがあるとおり、人は環境に影響されやすいのだから、制度や機制を整備することが重要だとしています。

制度の整備はいかに行われるべきなのでしょうか。紅網に発表された呂霜氏「巨額入院費から見た医療改革の行く末」では以下のことが必要だと主張されます。まず、全病院の96%を占めるという公立病院の独占状態を解消するため、民間資金や外資を呼び込み、多元化された病院の発展を助け、市場競争を高めること。次に「以薬養医」という薬品代によって病院の利益を得るという方法を排除すること。第三に独立した外部からの監督機構を設けること。最後に患者の立場を強めること。このために医者と患者の間にある情報の非対称性をなくし、知る権利を保護すること、また、外国の経験に借りて、医者と患者の間に保険会社を通すことによって適切な治療とサービスを受けることができるようにすること。

一方、市場化が医療改革の失敗をもたらしたとする立場からは市場化批判の声は聞かれますが、その対案まで論じる人はどうも少ないように思われます。

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2005年12月10日 (土)

新浪ブログ・コンテスト

中国の人気ポータルサイト新浪網で、「第一回 中国ブログ・コンテスト」なる企画が行われています。新浪のアカウントを取得し、ブログを開設している人は手続きを経て、コンテストに参加できるそうです。

上記ページを見ると、中国では多数の有名人がブログを開設していることがわかります。正確に言えば、新浪網は有名人にブログ開設をオファーすることで、短期間に勢力拡大を果たしたのでありますが。

それにしても、芸能人はもちろん、小説家、企業家、学者とさまざまな業界から参加していることがわかります。その中には政府の政策ブレーンの存在も見られます。

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2005年12月 5日 (月)

分担と分かち合い(松花江汚染事件から)

中国の隣国・日本でもすでに大きく報道されていますが、11月13日に発生した吉林市の化学工場の爆発が原因となり、松花江の水が汚染され、11月下旬から沿岸地域で断水が行われました。ハルビンでは断水の告知から実施までの期間が短かったこと、当初、市民に断水の理由が隠されていたことなどから、飲料水の買い占めや地震発生の噂が立つなどパニックも発生しました。

『瞭望東方週刊』のルポ「松花江汚染危機の検討」は市民の様子、行政当局の情報隠し、政策決定の舞台裏、企業や各省の責任問題などを絡めた迫真のものになっています。また、『三聯生活週刊』は「杜宇新の96時間」と題する共産党ハルビン市委員会書記の杜宇新氏のインタビューとハルビン市長・石忠信氏に対するインタビューを掲載しています。情報収集から政策決定に到る道筋とその遂行、今後の課題は何か、などが臨場感たっぷりに語られています。

さて、今回の事件では、黒竜江省長・張左己氏が給水再開後の最初の水を飲むことを市民に対して承諾したうえで、それを実行したり、現地を視察した温家宝総理に感謝の意を述べた市民に対し、温総理が「反対に政府の方こそ、市民の支持と協力に対して感謝しなければならない」と返したことが大きく報道されるなど、当局のポピュリズム的な手法が目につきます(以前からですが)。

一方、張氏が情報隠しを「善意の嘘」だったとして正当化したことがメディアや市民の反発を呼んでいるようです。

これに関して、『南方都市報』では梁文道氏のコラム「危険社会における公民」が発表されました。これはドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが提起した「危険社会」の概念によって、科学技術によるリスクが、それによって利益を受ける人々(企業など)ではなく、往々にして庶民・下層階級に集中してしまうことを指摘します。このような問題を解決するには「知る権利」が重要となりますが、梁氏は事故発生後の情報公開だけでは不十分で、化学工場が建設される際に建設場所や排出基準などの情報公開、要するに環境アセスメントを進めるべきだとします。さらには、企業が化学工場を建てる際には情報を公開し、関係住民にリスクを評価させるべきではないか、政府はリスクを受ける住民がノーと言えるような政策決定機構を設けるべきではないか、と「知る権利」と並んで住民が民主的に決定に参与することが重要だと指摘しています。余談ですが、日本の哲学者・東浩紀氏が若者のために選んだ20冊の本の中にもウルリッヒ・ベック『危険社会』が挙げられています。

梁氏の主張の背景には中国で行政改革が行われていることが挙げられると思います。『南方週末』紙に「危機に直面して」という論評が掲載されています。これは張省長の「善意の嘘」発言に対する批判から始まります。その文中には次のような記者の言葉があります。

全能政府から責任政府へ。いわゆる全能政府とは、つまり、天も地も空気さえも一切を管理するものである。いわゆる責任政府とは定められた法律に責任を持ち、法に基づいて行政を執行するもので、その要点は政府とは人民の委託機構であり、いかなる事故に直面しようと公共資源を動員し、公共危機に対する処置を主導するものであるというところにある。しかし、これは政府が、武術の達人が自らの宝剣にのみ頼って問題を解決するように公共危機に対して独断で処置するということではなく、政府が民衆に由来する己の力量をはっきりと認識するということである。こうして、民衆とともに立ち、苦痛を分担し、難関を共に渡ってこそ、民衆と成功を分かち合えるのである。

調和社会とは、分担と分かち合いに優れた社会である。政府がひたすら黙々と働き、民衆とコミュニケーションをとらないのは時宜に合わない。問題解決の道は分担と分かち合いにある。政府は人民に分担と分かち合いをさせなければならないし、政府は人民と分担と分かち合いをしなければならない。それでもって政府と人民の力を合わせて対応するのである。分担と分かち合いは政府に適用するものでもあるし、民衆に適用するものでもある。実際、情報は収集・評価から政策決定まで、手順と時間が必要なことを、公衆は理解しておくべきである。つまり、理性的な態度で物事を見ることによって、問題の解決に有利となるのである。

記事は、このような政府と民間の分担と分かち合いの前提は情報の公開であると指摘しています。また、10月初めに配信された新華社の記事「全能から有限へ」もこうした行政改革を取り上げた記事ですが、そこには「政府が管理すべきではないことは断固として企業や仲介組織、市場にまかせ、政府が管理すべきことは必ず良く管理する」という言葉が引かれています。もちろん、ここでも政府情報の透明化を進めることが必要とされています。

このように見ると、松花江汚染事件は中国行政改革にとって一つの転機になるかもしれません。しかし、分担と分かち合い――これは責任の所在の明確化とリスク情報の公開とも言い換えることができると思いますが――をバランス良く行うことができなければ、庶民の自己責任のみが強調される不健全な社会になってしまいそうです。中国はこの難しい課題をクリアすることができるでしょうか。

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