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2006年4月23日 (日)

独島危機

中国の隣国、日本と韓国で一触即発の危機が…ひとまずは収まったようです。

今回は4月21日付け『新京報』に掲載された、三力なる人物の「独島危機は東アジア安全の脆弱性を暴露した」という文章を一部ご紹介します。

韓日で島嶼の主権争いが今日のこのような程度まで発展したのも、韓国だけでなく、東北アジア全域の安全保障上の脆弱性を表している。ヨーロッパがすでにいわゆる「ポスト近代社会」の段階に入り、領土・領海問題が非常に少なくなり、伝統的主権概念がすでに相当薄くなって、相互に主権業務を分担して行うことが可能になった状況と比べ、東アジア世界は近年、伝統的な主権問題によって紛争が度々起こっている。伝統的主権、海洋権益、その他の安全保障上の問題があちこちで発生しているこの時機、東アジア世界の共同の安全保障システムの建設は、明らかに非常に不足している。

ヨーロッパ世界と違いは、現在の東アジア世界はそれ自身について言えば、全体的に特殊な歴史の段階に位置しているということだ。19世紀半ば以来、被植民地化され、20世紀半ば以降、普遍的に国家解放を獲得、および20世紀後半以来、普遍的に経済発展を遂げた後、大部分の東アジア国家は現在、近代国民国家の意義上での主体の覚醒が発生したばかりの段階にある。アイデンティティが強化されている現在、伝統的に冷戦と二極構造によってコントロールされてきた民族意識と主権、権益の争いは、外部の力を借りることによって引き続きコントロールすることはできなくなっている。東アジアの未来はますます東アジア国家自身によって決定されることになる。これはある面で東アジア世界の文明復興のための条件を提供しているが、そこに隠されたリスクもかつてよりはるかに大きくなっている。

東アジアはすでに「成長期」に入っており、これから「成熟期」に向かうことになる。東アジアの安全問題には新思考が必要である。やはり、それは主に東アジア国家自身によって創造されるべきだろう。この点について言えば、次の二つのことによって決まるだろう。一つは東アジア国家の自制である。島嶼とその他の主権、権益争いが話し合いによって、ある種の解決に達する可能性はないのだろうか。常に悲観的にこの問題を見る必要はない。実際、同じく東アジア国家である東南アジア国家間でも、いまだに激烈な島嶼主権の争いが度々発生している。シンガポールとマレーシア、マレーシアとインドネシアでは、過去2、3年の間に顔や耳を真っ赤にして争い、もう少しで武力で相見えるところだった。しかし、これらの争いが最終的に本当の対立に到らなかった原因の大きな部分はこれらの国家の自制にあった。

もう一つは健全な東アジア安全保障システムを建設することである。地域の長期の平和のためには、一定の安全システムによって保障とすべきである。この面ではヨーロッパの20世紀後半以来の実践が良い手本を提供してくれる。東アジアにおいても、東南アジア国家がASEANを設立した後は、相互に交渉によって問題を解決することが習慣となっている。未来には東北アジアと東南アジアを包括した東アジア世界において、現在のASEANの協力システムを土台として、その組織上の健全と機能上の発展を進め、これにより、共同の東アジア安全のためにシステムの保障ができるようにする。同時に朝鮮核問題をめぐって2002年に開始された6カ国協議システムも東北アジア国家により、共同でこれを常設機構とし、東北アジア世界の安全の確立に適合した土台とするべきである。

*エントリのタイトルと一部内容を変更しました。

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2006年4月17日 (月)

6カ国協議のゆくえ

中国の隣国・日本で先日、学術会議「北東アジア協力対話」が開催されました。これを機に、朝鮮半島の非核化をめぐる6カ国協議の代表らが東京に集結しました。この会議の開催には日本の元外交官・田中均氏の尽力があったとされています(参照)。

しかし、これと時を同じくして、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの夫が、韓国人拉致被害者の金英南氏であるというDNA検査結果が発表されました。これを受け、日本の佐々江賢一郎アジア大洋州局長が拉致問題の解決を朝鮮代表の金桂冠次官に強く迫る場面もあったと報道されています。また、拉致問題が日朝両国の間だけの問題ではなく、国際問題化する形勢を見せています。

朝鮮代表団はこれに態度を硬化させたようです。4月13日には東京都内のホテルで「(6カ国協議再開の)遅延は悪いことではない。この間により多くの抑止力をつくることができる」という相当な強硬発言も飛び出しました(参照)。6カ国協議再開の糸口になるかと思われた「北東アジア協力対話」ですが、むしろ状況は悪化したように見えます。

DNA検査の結果発表は日本の安倍晋三官房長官が主導したとの推測が流れています。安倍氏は以前から「朝鮮半島の非核化」という地域安全保障よりも、拉致問題という二国間問題に利益/関心を有していた人物です。今回の発表により、拉致問題を国際社会にアピールすることはある程度できたと言えますが、6カ国協議再開を最大の目標としている中国や韓国からは戸惑いの声も上がっているようです(参照)。日朝国交正常化を実現させたい田中均氏=小泉純一郎首相と、拉致問題解決を優先させたい安倍官房長官との路線の違いにより、「北東アジア協力対話」という数少ないチャンスを十分生かすことができなかったと言えそうです。

そうは言いつつも、全て日本のせいというわけではないでしょう。金桂冠氏は来日当初、アメリカ代表のヒル国務次官補との会談実現について、非常に積極的な姿勢を見せていましたが、これは実現することなく終わりました。ヒル氏が北朝鮮に対し譲歩する姿勢を見せなかったことが大きな原因でしょう。前回の6カ国協議再開のきっかけが北京での米朝直接対話だったことと考え合わせると、アメリカの態度の硬化が目立ちます。北朝鮮の積極姿勢を前にしても、無条件での6カ国協議復帰を表明しないかぎり、二国間会談を開く権限を与えられてなかったのかも知れません。このところ、チェイニー副大統領など、対北朝鮮強硬派が台頭してきていると伝えられています。

6カ国協議のゆくえはどうなるでしょうか。

先に引いた13日の金桂冠氏の発言はブラフのように聞こえます。その心は“核開発を止めてほしければ、早急に金融制裁を和らげて6カ国協議を再開せよ”というところでしょう。中国の立場は平和的手段による朝鮮半島の非核化で一貫しています(中国の国益から言って、中国周辺国で紛争が起きて欲しくはないはず)。また、中国の改革開放をモデルにした北朝鮮の経済改革を支持する姿勢を見せています。つまり、「改革はするが体制は変更しない(させない)」という立場です。金正日総書記の極秘(?)訪中が大きなニュースになったのはそれを示すシグナルではないでしょうか。

政権内部の権力闘争によって一貫した政策を打ち出せない日米両国の動きを目にして、議長国である中国はイライラさせられることになるかもしれませんね。ただ、中国も最終的には北朝鮮に譲歩を求めることになるでしょう。

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2006年4月14日 (金)

危険な民意

4月4日、広州市の治安関係の委員会で、広州市委員会副書記の張桂芳氏が、警官が「砍手党」(被害者の腕を切り落とす武装強盗)に対し、思い切って発砲できるようにすべきだ、と要求しました。

この発言は、「人民警察法」や「人民警察使用警械和武器条例」に抵触するものだとして、複数のメディアで批判されましたが、一方でインターネット上でのアンケートでは約8割の人々が張氏の発言を支持するという現象が見られました。こうしたネット上の意見に対し、『燕趙都市報』に掲載されたコラム、朱四倍「“暴を以って暴を制する”は危険な民意」をご紹介します。

考えさせられるニュースではある。バーチャルなネット空間では少なからぬ人々が自分の本音を語る。そして8割のネットユーザーが警察の発砲を支持し、ついには「除暴」を「天経地義」と考え、この種の発想の「公共性」を突出させるためか、これは民意だ、とまで言う。しかし、現代社会において、この「除暴」の類の字面は野蛮な「江湖」時代を想起させる。民主・法治・人権を押し頂く現代社会においては、荒唐無稽なものである。

社会規範の無力が暴力の要素の成長させていること、砍手党の出現はその証拠である。わが国は現在、一つのモデルからもう一つのモデルに移る社会転換期にあるが、衝突や摩擦が起こることは必定である。社会の各領域で巨大な変化に直面している今日、社会の整合システムとコントロール・システムはこの変化に対して遅れをとっている。元々の政治を基礎とした社会のコントロールと整合システムは、いまだに社会経済を基礎としたシステムに転化しておらず、いま存在する問題は短期的には消滅しないだろう。社会心理学では、個体攻撃性の行為が生まれる原因は挫折と不公平に遭遇した後に形成された巨大な怒りであると考える。この怒りは暴力行為発生の仲介となって、一部の人を実際に暴力行為に走らせる。筆者の見るところでは、砍手党の出現した原因に注意することが「暴を以って暴を制する」よりもはるかに重要であり、理性的である。

8割のネットユーザーが「警察が発砲すること」に賛成したのは暴力にハイジャックされた民意である。イギリスの社会心理学者リチャード・スティーブンスはかつて、心理的バランスを失った社会環境では、道徳規範に違反する行為がもし発生すると、個性なき群集が集まり、極めて集団的暴力を発生させやすいと指摘している。これが「暴を以って暴を制する」が支持される原因である。しかし、この非理性的民意は現代社会と相容れることのない危険な民意である。事実、民意は必ずしも公平なわけではないし、文明的なわけでもない。社会の経験は説明する。公衆の意見は往々にしてある種の暴力性を帯びた、暴力にハイジャックされた民意であり、必ずしも我々を民主・法治の道に導いてくれるものではない。

8割のネットユーザーが「警察の発砲」に賛成したのは、感情的になった民意である。この民意は砍手党への恨みを表したものというよりは、現在の社会治安、社会安全に対する不安を表したものである。まさにこのことによって、我々は暴力の威嚇の下での民意は危険な民意であるとみなす理由がある。この前提に立って、筆者は理性的な方法で問題を解決することを期待したい。そして、政府が法治によって砍手党問題を解決し、公衆に平和で安全な環境を与えることを期待したい。理性的ではない民意を利用して目的の達成を求めるのではなく。

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2006年4月 4日 (火)

“挙国体育”の墓掘り人

3月24日付け『新京報』に、かつての女子重量挙げ全国チャンピオンで、世界記録を出したこともある鄒春蘭さんの現在の生活の様子が掲載されました。

彼女は現在、長春の某サウナで垢すりとして5平米のタコ部屋に住み込みで働いているそうです。本人曰く「小学校3年生にも満たないような学歴しかなく、ピンイン(漢字の発音をアルファベットで表したもの)も読めない」ということで、単純作業にしか従事できないということです。かつてのスター選手の貧しい生活に多くの人々がショックを受けたようです。

翌日の『新京報』は湖南省体育局体育科学研究所副所長・鐘賦春氏の「引退選手の生存状態に関心を」という意見を掲載しています。現行の体制では、選手やコーチに成績を出すことのプレッシャーがかけられており、そのため選手が同世代の人間と同じような文化や知識についての教育を受けられないと訴えています。体育学校では競技の練習時間が長く、学習時間が短いうえに、教師の質や学習環境においても一般の学校に劣っているということです。鐘氏は体育学校の教育体制の充実と引退した選手に対する職業訓練、生活補償金の必要性を訴えています。

鄒春蘭さんのニュースは体育事業のあり方についても、人々の反省を呼び起したようです。『人民日報』には殷健光氏のコラム「チャンピオンは体育事業の泥をこすり出した」が掲載され、現行の体育事業における、スポーツの成績至上主義を批判していいます。スポーツ選手の全面的な資質の向上を目指すべきところ、文化や知識面の学習が軽視されていること。本来、国民の資質を向上させるための体育事業なのに、「金メダル思想」によってイメージやメンツのための事業になっており、金メダルのためなら選手の身体にも負担をかけるという、体育事業としては本末転倒の状況になっていること。体育事業は全民衆の資質の向上を評価基準とすべきところ、金メダルや銀メダルの数が評価基準となってしまっていること。さらに選手の就業問題を無視してきたこと。鄒春蘭さんのニュースによってこすり出された、これらの泥によって体育事業が汚染されていると主張されています。

『中国保険報』には劉宇氏のコラム「鄒春蘭が“挙国体育”の墓掘り人となることを願う」が掲載されました。このコラムもオリンピックのメダル数を重視して、選手に犠牲を強いてきた従来の体育事業を批判します。かつての計画経済時代ならば引退後の職場も用意できたかもしれないが、現在はそうも行かないということです(選手に小学生なみの学力しかないのならばなおさら)。劉氏はこのような状況を生み出したのは金メダル獲得戦略を掲げた“挙国体制”であったと指摘し、その改革を訴えますが、現在は北京五輪前ということで、それも難しいと考えています。しかし、五輪が終われば金メダル獲得戦略をやめ、体育を本当の意味での体育に戻すべきだと主張しています。

しかし、これら「体育事業の市民化」とでもいうべき課題が、五輪後にも忘れ去られずに済むでしょうか。メダル数や国際大会での活躍を体育事業の評価基準にしたり、スポーツが国威発揚に利用されることは中国よりもはるかに先進的な国家においても、いまだに行われているのです。

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