2006年3月16日 (木)

読書無用論

湖南のニュース・サイト「紅網」に掲載された「読書無用論は反知性主義の変種」の要約をお届けします。

改革初期は知識分子の地位が高くなく、収入も低かったために「読書無用論」が流行したが、時代の発展にともない、社会や産業の構造が変化していくなかで多くの知識分子が国家建設に参与することになり、「読書してこそ見込みがある」という認識が広まった。しかし、最近になって再び「読書無用論」が復活しつつある。

某農村の四名の大卒者のうち、三名が職を見つけられなかったことで、「勉強なんて役に立たない。中学さえ出ていればいい。大切なのは金が稼げるかどうかだ」という共通認識が農村に広まっているという。

反知性主義には知性に対する懐疑と、知識人に対する懐疑・蔑視とがある。中国の歴史を振り返れば、悠久の文明を支えた知識に対する崇敬が主流だったが、焚書坑儒や文化大革命など反知性主義による惨劇もあった。グローバル化が進む現在、中国の国家イデオロギーは反知性主義から脱出したようであるが、ホーフスタッターが言うように「反知性主義とはアンビバレントな感情であり、知性に対する絶対的な排斥というのは珍しい」。よって、反知性主義の根は深く、国人の頭の中にまださまよっている。

農民の中で読書無用論が流行するのは大学進学率上昇政策と労働市場のアンバランスの悪しき結果によるものだが、ただの表象である。欧米のような先進国であっても大学生の就職問題(就職難、機会不平等など)は真に解決できているとは言えない。しかし、たいていの人は自分の能力不足のせいだと考えている。市民は社会制度を批判するにしても非常に理知的に行う。中国のように知識そのものに矛先を向けることはまず、ない。 読書無用論は反知性主義の変種であり、国人の思考の中に長く潜伏していたものである。今回はそれが公共政策の失敗と教育体制の弊によって生まれた社会に対する不満に乗じて噴出しただけなのだ。

このような反知性主義がだんだんと主流思想に浸入しつつある。このような傾向に抵抗しないならば、その害は絶大である。中国の人民の素質は低く、エリートは数少ない。農村は特にそうだ。映画『天下無賊』には「21世紀に欠けているものは人材だ」というセリフがあった。

そして、21世紀の人材が必要とするのはもちろん、知識なのである。

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